何が問題かは言わずもがな、いじめそのものは勿論のことSOSを受け取ることが仕事である人間達がSOSを反故にしてしまう。しかも、弱者は思春期の子供であり、SOSを受け取る側は社会の優良と言われる人種の大人達だ。その結果、その子の選択肢は自殺という手段しか残されてなかった。という悲しい事態である。
その後、法の下に家族は訴えを起こしたがその時点でも訴えを法の番人然り学校関係者然り大勢の大人達がSOSを反故にしている。
被害者のご家族の皆様には、とても悔しかろう、悲しかろう。
手に取るように解る。
我が家も家族が法の理不尽で酷い目にあった事があるが、日本という国の組織の層の薄さと頼りなさ、弱きを救済することの出来ない国家形態。大人になり荒波の中で生活していると嫌と言うほどがっかりさせられる。
実は、このような社会を見透かせるのは荒波にのまれた生活をしている人間と社会に疑問を抱いてしまった思春期以降の若者である。若者達は社会の垢にまみれていない分敏感なのである。
こんな事態は何を引き起こすのだろうか。
若者達は自己防衛ありきの考え方が芽生えてしまう。
「自分さえ良ければいい」の考え方である。
つまり、救済バックアップが無い以上、いじめを目撃しても沈黙してしまうという事。
最悪の場合は悪の方になびいてしまう。何故ならオトガメが無い事が明らかであるから。
もっと言えば、法律は人間性の悪党も加担して作られているので、ザル法がごまんとある。
このザル法を利用すれば幾らでも悪事はヤリ放題なのである。
法律がザルである以上抜け道も山ほどある。
それをさせない為には「良心」「思いやり」であろう。
話はズレてしまったが
もう少し、詳しくこの事件を掘り下げてみよう。
何故、いじめは起きるのか?言い方を変えてみよう。何故、いじめを起こすのか?
いじめを起こす人間はいじめを起こさなくてはいけない理由がある。
人間は「信頼している」人間から嫌な目に合うと、誰かにその心の痛手を与えないと、自分自身が耐えられないのである。しかし、報復されるような相手ではかえって痛手を増大させてしまうので報復しない相手、また、報復しない人種の集まりを攻撃するのである。
では、そのいじめの権化となる「信頼している人間」とは誰のことか。
想像に難しくないと思うが、そう「親」である。
親から受けるいじめやプレッシャーは子を追い詰める。
そのプレッシャーに耐えうる、若しくは乗り越えられる方法を何も教えずに無闇にガンガン圧をかける。
すると
ある子供は内に秘め、心が閉ざされていく。ある子供は他の子に暴力で紛らわすのである。
こう書くと一見、人事の様に見えるが実は日常茶飯事に大人の社会でも同じような事が起きている。
会社勤めの上司が朝、夫婦ゲンカをして、そのムシャクシャを部下に押し付けたり、会社帰りの居酒屋で上司の愚痴を言いふらしてる。どちらのケースもいささか器の小さな人種であるが、このようなケースと全く同じということである。
話を戻そう。
つまりは、全て親の教育に起因するという事。
いじめをした子供達、SOSを反故にした教育関係者、警察関係者。
全員自分の事しか考えていない。
つまり、全員そういう教育しか受けてないということになる。
間違えてはいけないのは、人間性を育てる教育を学校に任せている親がいるが大間違いである。
子供の人間性の基礎をつくるのは親以外の誰でもないのである。
以前から言ってる事だが子供の犯罪は親の責任。その親も罰する必要もあるのではないか。
親も罰せられるとなれば犯罪しようと考えている人間の何人かは考え直す事もあろう。
犯罪者をつくるのは、その親であることを忘れてはいけない。